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2025/01/09 個人近況のアウトプット「哲学について」

創作に関係ありません。哲学に付いてのアウトプットをしています。



記録 2025/ 01/09 15:00

現代人が思う哲学とは何か?

やや小さな世界であることは承知でツイッターにて「哲学」と検索することがあります。

開けてみれば「この言葉に励まされた」や、ツイートの内容があたかも学問だといっているようなニュアンスのものがちらほらあるのですが、
それは一体哲学なのか?と疑問に思いましてね。

私は今休職中なのですが、昼たまたまいたフリーターの弟とそんな話をする機会がありました。
ゆる~く話をして「ところで急なんだけど、哲学って何だと思う?」と私が聞けば、「何か”こうだ~!”とか、そういうやつじゃないの?」と漠然としたのが出てきました。

でも確かに急に哲学といわれたら、あまり触れる機会が無かった人たちにとっては なんだか難しい議論をするやつ 見たいな形をしているものなんだろうな。と思います。

ただちょっと年齢も重ねて、自分自身で少しでも哲学をしてきた人たちは もう少し具体的なことを言うと思います。

ちょっと興味本位で出会い目的のアプリを入れた時がありまして、プロフィール欄に好きなこと”哲学”みたいな、ちょっと逆張りみたいなことをしていた時期がありました。
今思えばちょっと笑っちゃいますが

度々、それに触れて話してこられる方が多くて みんな言うことばとして「ニーチェとか、アリストテレスのやつでしょ?」ということが多い。
このときふと思いまして、もしかして哲学って割と「学問」という くくりで見てる方が多いのかな?

哲学は学問か?

正直、私の見解では 「哲学は学問ではない」とみています。あくまで大学にも行かず、高校卒業したただの女の戯れ言ですがね。

ただ全部が全部、学問じゃないよ~だとかそういうのではなく 詳細に言うと近代哲学(あるいは近代思想とも言うとします)は 学問では無い。
古代~中世哲学などは学問になっていると思います。

古代~中世哲学は現在の哲学の基盤になっているところで、時代は変われど 当時の哲学者達がどのようなメガネをかけて世の中を考えたのが追体験することができます。

ただ、ここで抑えておきたいのが、彼らの哲学がすでに現代の時代には合わなくなってしまっていることです。

個人の見解

正直、私の見解では 「哲学は学問ではない」とみています。あくまで大学にも行かず、高校卒業したただの女の戯れ言ですがね。

ただ全部が全部、学問じゃないよ~だとかそういうのではなく
詳細に言うと現代哲学(あるいは現代思想とも言うとします)は 学問では無い。

古代~中世哲学などは学問になっていると思います。

現代哲学は、今現在を哲学して、

古代~中世哲学は現在の哲学の基盤になっているところで、
時代は変われど 当時の哲学者達がどのようなメガネをかけて世の中を考えたのが追体験することができます。


ただ、ここで抑えておきたいのが、彼らの哲学がすでに現代の時代には合わなくなってしまっていることです。


過去の哲学は、過去の時代に合った世界の見方が生まれる。さらに、昔の哲学の中に科学の言葉がありました。

哲学は科学であり、科学は哲学と呼ばれた。

そりゃそうですよね、
昔なんてまだまだ科学の発展途上で 見えない問題の解を見つけるというようなニュアンスで問いのところが一致するんですね。

けれど、今では研究がすすんで 哲学から科学が分離されて それで科学は科学と発展していった、そう言うように私は見てます。

そういえば、誰が言ったかは知りませんが「哲学は死んだ!」とか言っていたようですが、ある意味正しいと思います。

みんなが一度は聞いたことあるプラトンアリストテレスの話してた内容、イコール哲学という認識が強いようで、それらはすでに時代に合っている考え方ではなく みんなで今の哲学を作らなくてはいけないよ

だから、
「(みんながよく知っている昔の)哲学は死んだ!」と誰かが言ったのかも知れません。

哲学とは何かを考える

現代哲学の個人的な解を言えば、「問いがあったとして、解は貴方と解く」が現代哲学のざっくりしたものなのかな~と思います。

古代~中世哲学は 学問にもなります。今に合うかと言われたら分かりませんが。

現代になるにつれて、複雑になっていく今の世の中は 今の流れを見て居ると 固定概念を壊そうとする機会を生み出している人が多くなっているなと。

同様に近代哲学者として名前が挙がる
デリダ達は、
本当にざっく~~り見ると「これまで合った哲学や、社会の常識をどれだけ壊して 本質をみることができるか?」などと言うことを言ったりしています。

問題にたくさん付属している タグ(属性)を取り払って、取り払って、一度問題を見つめ直すのが大事だと。


同時に今の世の中は、個人にまでスポットライトが向くんですよね。

だから、昔みたいに固定概念や教えだったり、常識でみんなをまとめられていたのが崩壊している訳なんです。

だからこそ、個人の声が少し大きい。

だから哲学も、個人の誰かに寄り添うように世間にあったように形が変わっていく。

もっと親しみやすく、貴方の一部になって 肌と変わらない物になっていく。
哲学は死んではおらず、小さく分けられ 私や貴方のためにあるものに変化したのだと私は今の段階では答えを出しました。

さいごに

「哲学で考える人は理論に縛られている」とかそういう人も居ますが、

それはその理論で見てしまっている側の人が
”学問になってしまった哲学を使って世の中をみている”か、
あまりにも白黒思考で やや世界の見方と視野が狭い人なのかな~(ちょっと自分にも心当たりがある)

とも思ったりします。

今の哲学は、今の哲学の形があって 昔は昔の哲学の形があります。

どっちで見るのも勝手ではありますし、それこそどのように世界を見るかなどは個人の自由で良くも悪くもないですが

できれば、私は現代に生きるものとして 現代哲学と仲良くしていけたらいいな~なんて思います。